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福沢諭吉さんの名言
投稿日時:2008-04-27 09:36:46

ペンは剣よりも強し


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1:ドレミ 2009-10-27 19:05:04
いい言葉ですね。大好きです。

2:ドレミ 2009-10-27 19:05:11
いい言葉ですね。大好きです。

3:ドレミ 2009-10-27 19:05:25
いい言葉ですね。大好きです。

4:大久保啓次郎 2011-01-20 06:23:55
福澤諭吉は「ペンは剣よりも強し」と言い、慶応義塾大学の「塾章」にもなっていますが、これが本当に福澤諭吉の名言なのか信じられません。
なぜなら、明治15年の壬午軍乱、17年の甲申政変(いずれも朝鮮の内乱)で清国と日本は朝鮮国王の依頼により内乱鎮圧のためにそれぞれ出兵しますが、すべて清国が鎮圧してしまい、それ以降日本の朝鮮に対する発言権はなくなります。清国の軍事力が、日本のそれよりも強大であったからです。
それ以後(明治18年~31年)福澤は、自社の時事新報で毎年のように「軍備拡張」を政府や国民に訴えます。その結果、明治27年の日清戦争、37年の日露戦争では、「圧倒的な軍事力」をバックに、世界に対して戦略的な外交を展開し、日本を勝利に導いたのです。
福澤の軍拡論は、勿論専守防衛のためであり、戦争をするためではない事を
福澤の名誉のために付け加えさせて頂きます。

5:大久保啓次郎 2011-01-20 07:31:54
この言葉を最初に言った人は、「ポンペイ最後の日」の作品でも有名な、イギリスの小説家、劇作家、政治家の、ブルワー・リットンです。彼の戯曲「リシュリュー」の第二幕、第二場の中で出てくる名言です。
彼の生涯は(1803~1873)ですから、1800年代初期か中頃の「名言」かと思います。
福澤諭吉がこの「名言」を、彼が経営する新聞社の「時事新報」で発言したか、あるいは他の誰かが福澤の言動を見て、「福澤の名言」としたのか、私には分かりません。
若しも福澤の言動から他人が判断したとすれば、例の幕末に於ける「上野戦争」です。1868年幕府と政府軍が上野で戦争をしていた時に、砲声を聞きながら福澤諭吉は平然と三田の慶応義塾で、学生たちに「ウエーランドの経済学」の講義をしていました。この事実を捉えて、「ペンは剣よりも強し」=「福澤の言動」としたのでは、ないでしょうか。

6:大久保啓次郎 2011-01-21 06:52:47
慶応義塾「ペンマーク」の正式な謂われが分かりました。以下に(「塾」2004年SUMMER(NO.243)ー慶応義塾社中特別号ー記載)にある文章をご紹介致します。ペンマークは、慶応義塾が公式に制定したものではなく、塾生有志のアイデアから生まれ、それが歳月を経て公認されるようになった。その誕生のきっかけは「和服」から「洋服」への転換であった。1885年(明治18年)頃、何人かの学生が自主的にそろいの洋服と学帽をあつらえた。ところが洋服と帽子で街中を闊歩してみると帽子に記章がないのはいかにも物足りない感じがする。そこで「ペンには剣に勝る力あり」という成句にヒントを得て、福澤先生の判断を仰いだところ「大変良い案だ」と言われすぐに決定された。1885年(明治18年)12月21日付けの「時事新報」には「慶応義塾の生徒は従来大抵和服を着用していたが、今度生徒中の過半が申し合わせて一斉の洋服に改めその帽子には前面に洋筆を交叉した徽号を附することとなし」と報じられている。そして1900年(明治33年)には、特に大学部の塾生に対し「記章附き帽子」着用が告示され、ペンマークが正式な義塾の記章として採用されるようになったとある。

7:匿名さん 2011-01-21 09:34:26
まぁまぁ、、、いいじゃないですか。

8:蛙 2011-07-17 17:23:15
「ペンは剣よりも強し」実はこの言葉の前には「権力のもとでは」という言葉がついています。当時強大な権力を持っていた枢機卿のリシュリューは「権力を持っている私たちは、ペン一本でお前たち市民を、牢にぶち込むことも火であぶることもできるんだぞ」という意味で発言し、国民を脅したのです。

9:ようこう 2011-08-06 09:09:49
気になって福沢諭吉の全集を全部読みましたが、「ペンは剣よりも強し」という言葉はどこにも見当たりませんでした。

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